はじめに
愛媛県出身で兵庫県にて看護師をしながら情報発信をしている「じゃっきー」です。
2021年1月からブログに本腰を入れてはや10ヶ月が経ちました。
- いつも自分がいいな〜と思うこと
- このアニメAmazonプライムで見れるんや!という情報
- 妻がこのキッチン道具めっちゃ便利でかわいいから皆に紹介してあげて
といったお得で役立つ情報をお届けすることを心がけてブログを書いています。
しかし、どんな役立つ情報でも本当に信頼できる人からの情報でないと信用できないと思いませんか?
私ならきっとそう思います。
Twitterを通してお話しさせていただいている方なら、ほんの少しだけ”じゃっきーはこういう人”みたいな雰囲気を掴んでいてくれているかもしれませんが。
じゃっきーのTwitterはこんな感じです。
🍀こんな人と繋がりたい🥳✨🍀
🏞青い空が好き
👨👩👧妻や子どもが大好き
🛤家族と旅行がしたい
👨🌾職場に依存したくない
🏡副業は家でしたい
👨💻ネットで稼ぎたい
💴稼ぐ力を身につけたい
📝ブログ仲間を見つけたい
🆗人生を楽しみたい‼️優しくて気が合う方にはフォロバプレゼント🎁します☺️💯
— じゃっきー@ブロガー×投資家×看護師のハイブリッダー‼️ (@Jackey2706) January 2, 2021
そこで今回わたくし「じゃっきー」をもっと良く知ってもらおうと、しっかりした自己紹介をさせていただきたいと思います。
自己紹介をするに当たって、YouTubeでオリラジの中田さんが紹介されていた本
いくつになっても、「ずっとやりたかったこと」をやりなさい。
を参考にさせていただきました。
本書から『生きている間はずっと挑戦者でいよう』という意識にシフトできます。
タイトル名を聞いて「興味あるな〜。」と思った方はぜひご一読くださいませ。
本書よりメモワールという手法を用いて「じゃっきー 年齢41歳」を12で割って、およそ4歳区切りで生い立ちから現在までを振り返ってみました。
主要なイベントに沿って重点的に書いています。
どうぞ「じゃっきー」という人間がどんな人であるのかをぜひとも覗いてみてやってください。
愛媛県に生まれ育つ(幼少期)
長男として誕生(0歳〜4歳)
1980年7月10日、愛媛県で生まれました。祖父母、父母、2つ上の姉、そして私の誕生。
子ども2人目の長男。
初めての男の子とあって祖父母と父母はうれしかったに違いありません。
翌年に弟が生まれ、障害をもった叔父とあわせて8人の大家族となる。
よく風邪を引いていました(5歳〜9歳)
実家は兼業農家。
みかんや”はっさく”などの柑橘類をはじめ、柿やお米を作っています。
父親と一緒に出荷のために市場へ夜に行ってました。冬の寒い日が多かったので、父が買ってくれるココアを目当てに付いて行ってましたね。
- 父親は工場勤務で土日に農業
- 母親は地方公務員の看護師
今考えても「父も母もよく働いていたなぁ。」と思います。
すくすく育ちましたがときどき喉からの風邪をこじらせていました。小学校3年生で肺炎になりかけ1ヶ月程度入院したこともあります。
1ヶ月も入院して寝たきりだと、最初うまく歩けなくなるんですよ。
熱を出した時はよく祖母や母に看病してもらい、保育園や学校で熱を出したときは祖父が自転車で迎えに来てくれてましたね。
スマホや携帯ゲーム機のなかった時代。
病床で見るNHKの教育テレビが1番の楽しみでした。
高熱のときには、夜中に近くの医院に誰かにおんぶされて連れて行ってもらった記憶があります。
「大切にされていたんだ」と改めて感じました。
酸いも甘いもびのび成長(少年期)
マイペースだけど活発な小学生(9歳〜13歳)
小学校時代は田舎の小学校で1学年1クラスが当たり前。6年間ほぼ同じ顔ぶれで生涯の親友たちができました。
6年生のときは児童会長をしました。
気が弱いけど目立ちたがり屋なので、こういうポジションが私には合っていますね。上に立ったとしても気が弱くて優しい(※自称です)ので決して威張りません。
私は会長ポジションにいて肝腎なあいさつの時に目立つだけで、他は各委員会の委員長におまかせでした。
卒業式の児童代表の言葉で最後の最後声が裏返るという伝説まで残しましたんで。
スネに傷もできた淡い思い出(14歳〜18歳)
14歳になったとき中学校で少年式というのがあって、なぜかその体育館での光景を思い出します。
中学校の甘酸っぱい青春の1ページ。
少年式後に愛媛の霊峰石鎚山へスキーへ行ったのですが、寒いしスキーはむずかしいし、今後あまりやらないだろうなと思いました。
中学生になると恋するお年頃です。好きな女の子の一人や二人できます。
友達を通じて好きな女の子に教室へ来てもらい教室で告白をする。
それを友人たちがこっそりみんなで窓から見ているという”あるある”なことも経験済み。
せっかくお付き合いしたのですが、別々の高校へ行って自然消滅しました。
高校3年間はバレーボール部
高校では3年間はバレーボール部へ所属。
部活動ではいろんな経験や楽しい思い出がたくさんあるのですが、たったひとつ反省点があるんです。
県予選で調子にのってしまっていたときがあり、悪気はなかったのですが相手チームを撹乱させようと、試合中に相手をディスったことがあります。
野球とかでヤジを飛ばすなんて日常的にありますけど、バレーボールではあまりしないんです。
一度他の高校からソレをされて、自分の高校が混乱させられ試合に負けたことがあるのです。
よし。それなら今度は自分たちもそのヤジを取り入れて相手チームを混乱・動揺させてやれって思ったんですよね。
策略は成功して、みごと試合には勝ったけど、相手チームから怒りを買いやり過ぎだと詰め寄られるという苦い経験をしました。
今思い出しても胸が痛みます。
高校3年生のそれ以来、めちゃくちゃ猛省しスポーツはフェアに正々堂々とやると決めています。
壁を乗り越えつつ順調な登り坂(青年期)
完全に運で持っていった大学合格(18歳〜22歳)
受験勉強もろくにしてこなかった偏差値50の私が国立大学医学部保健学科へもののはずみで合格したのです。
高校の国語教師が部活の顧問で、大学の推薦入試へ向けて試験の小論文を練習することに。
当時社会問題視されていた
- 「キレる子どもへの対応」
- 「終末期医療」
の2テーマにしぼって特訓しました。
しっかりご指導いただいたあと、「先生、面接はどうしたらいいんでしょう?」と尋ねると、
オマエなら面接で落ちることはない。なんで看護師になりたいのか、その気持ちだけ置いてこい。
と言われたんです。
大学入試当日、2テーマが出題され奇跡が起きます。その2つのテーマがなんと
- 「キレる子どもに対するあなたの考え」
- 「終末期医療に対するあなたの考え」
で鳥肌がたちました。
スラスラと書けます。だってこれしか練習してないんですから。
続いて面接です。
面接では祖父が心不全で亡くなったとき、心臓マッサージを母と2人でやった体験を述べ思いを伝え切ります。
面接が終わった時には全身の力が抜け、やり切った感があふれ元気に面接室を出ました。
すると面接官だった教授のお一人が「ちょっと!忘れ物!」と呼び止めます。
「はい?」と思ったのですが、面接が終わった安心感で全ての荷物を面接室に置いて帰るところでした。
そのとき面接官がすっごい笑顔で「あなたの忘れ物と一緒に合格通知を送るところでしたよ。」とサラッとおっしゃたんですよ。
「え?今のはどゆこと?」って思いましたけど、なんとなく50&50ですけど、
「あれ?もしかしたら、これ受かっちゃうかも」
って思えました。
思い出コラム
高校生のときに、なんの話をしていたか定かではないのですが母から「〇〇くん(私のこと)が小さい頃に将来を占ってもらったことがあるんよ。」と言われます。
私が興味津々に聞き返すと母は「この子には特別な能力はないんだけど、周りから押し上げられて上に立つ子になる。」と言われたと話したのです。
妙にその言葉がすんなりと私の中に入ってきたのを覚えています。
「まさにその通りじゃん!」って納得したんですよ。
凡人だけど、相手を傷つけたりすることは大嫌い。超平和主義のじゃっきーの芯は母から聞かされた占い師の言葉にあります。
人生初の挫折(23歳〜27歳)
今まで人生の壁が何度かあったけど、なんとかストレートに乗り越えてきた私でした。
しかし、母のススメでなった看護師になったところで挫折を経験します。
初めて勤めた京都にある大学病院をわずか3ヶ月で辞めてしまったんです。
- いじめのようなことを私の同僚にしてくる先輩たち。
- 夜勤の変則リズムも受け入れられない。
- 医療行為が怖い。
学生のとき家庭教師しかしたことがなかった私には社会に出て働くという心構えが全くできていませんでした。
「ダメだ。自分に看護師はできない。」
夜中の京都のまちを何の目的もなくボーッと歩きました。
その当時、病棟の師長はたくさん私を励ましてくれましたが、期待に応えることはできませんでした。
2人でご飯を食べに行ったり、そこでたまたま出くわした結婚式を見て2人で泣いたり。
今でも心の底からご迷惑をおかけしましたと謝りたいです。
愛媛の実家にて住所不定無職です
愛媛の実家に帰ると、母は私を期待していただけにすごく辛い顔をしていました。
そんなとき父は「○○がツライならいつでも辞めて帰ってきたらいい。」と一言だけ伝えてくれたんです。
そのうれしさときたらなかったですね。「ありがとう。逆に頑張らなきゃ。」と思いました。
京都から住所を変更中で住所不定となり、これで疑いなく「住所不定無職」。
1ヶ月間、自分の仕事と言えば
- 姉の職場の送り迎えの運転ドライバー
- 家族の洗濯物を取り込んでたたむ
というプー太郎生活をしています。
「この間自分の将来についてどうするべきか?とりあえずもう1つ免許がある保健師をやろう。」とハローワークへ行っていました。
「働かざる者食うべからず。」母の言葉が身に沁みます。
そんな生活をしていたら母校の教授から心配して電話をいただきました。どうやら私のために大学へ相談してくださったようで。
母校の大学病院での看護師就職のお話をいただきました。
少し考えた後、気持ちを奮い立たせ、もう一度実家を飛びたったんです。
保健師はなるまでが苦難の道
その後、縁があって大学院を修了し、保健師になるのですが。それまでも苦難の道がありました。
保健師になるまで就活で四苦八苦したんです。
「もう親にツライ顔はさせたくない。大学院にまで行かせてもらっているんだ!」
そう思った私は大学院へ通いながら、東京アカデミーにも通学します。
「とにかく勉強して成功しなきゃ。」
しかし、とても歯がたちませんでした。なんたって元は偏差値50ですから(笑)
真面目さだけでは時間が足りませんでした。
ところがこの勉強が役立ちます。それが保健師の就職試験。
保健師は地方公務員ですから、国家二種より少し易しい版の問題が出題されるんですよね。
しかしながら、保健師の採用枠はとても狭き門。募集員若干名に対して数十人がエントリーしてきます。
一次試験に受かってもなかなか2次試験に合格できません。
それに2次試験で落ちると自分の自信がどんどん揺らいでくる。この時も、
と思い、東京の某大学病院へ看護師で合格します。
するとあきらめかけた矢先に、最後に大阪で受けた行政機関で保健師に合格したんです。
捨てる神あれば拾う神あり
まさにそんな心境でしたね。あきらめずに最後に受けて良かったです。
この間、受けた行政機関は全国10数カ所、大学病院1カ所とたくさんの労力とたくさんのお金を使いました。
若かりし早計な決断(28歳〜32歳)
保健師になり3年がたった頃、本庁から他部署へ異動の話が出てきます。
すると辞めたくなってくるんですよね。ほんとにダメダメな私です。
あんなになりたかった保健師ですら、まだ若いからいつでも辞めて違うところへ就職できると思い込んでいるんです。
そんな時に大学の恩師から「大学教員にならない?」と連絡がきました。
辞めたい思いとお誘いのタミングがバッチリあい、転職の話にふたつ返事で「なります。」と返答する私。
それから1年間兵庫県の大学へ勤め、4年間大阪の大学へ助教として勤務しました。
大学教員になると保健師の頃にくらべ給料もアップしたのでうれしかったですね。
人生最大イベントの1つ結婚
28歳。人生最大イベントの1つ、結婚をします。というか28歳で結婚するというのは自分の心の中で決めてました。
そのときまでに家庭的で家族を大切にできる人を探すって思ってたんです。
友人の紹介で妻と知り合いSNSを使って連絡を取り合ってました。
思い出すのは最初の頃に妻と行った京都デート。
秋の京都。人気紅葉スポットの永観堂へ行ったのですが、途中腹痛に襲われトイレから出られず。
何とも恥ずかしく思い出したくないデートです。
妻も
と今でも話しています(笑)
妻は最初から私のことを大事に思ってくれていました。
さらに「家庭的で家族を大切にする人だな」と付き合っていくとよく分かり、
この人しかいないなと思いました。
2008年8月22日。
数字の「8」の末長くという意味と、「22」夫婦でいられるようにと願いを込めて、神戸市西区役所へ結婚届けを持っていったのです。
妻の友人がその届け出を出すまでの一部始終をカメラにおさめてくれました。
2011年と2013年に長男と次男が生まれ、晴れて現在の「じゃっきー家」の完成です。
これからの人生の自由を手に入れるために(壮年期)
またしても転職。臨床に戻る無謀な挑戦(33歳〜37歳)
勤めていた大学に大学院を設置することが決まり、朝早くから夜遅くまで働くことが当たり前の大学教員に疑問を抱くようになってきました。
モヤモヤが渦巻くなか大学院博士課程を自己都合で退学。
- もっと家族との時間を大切にしたい
- 大学教員の閉塞的な人間関係にも疲れ果て
臨床看護師に戻ることを決意します。
戻ろうと思った現場は認知症の病棟。
母方の祖母を認知症で失くし、何もできなかった自分の不甲斐なさに一念発起して決めました。
臨床現場を知らない看護師の苦悩
マイホームのある兵庫県で車を使って15分のところにある民間病院へ就職。
毎朝2時間近くかかっていた大阪までの電車通勤人生にピリオドを打ちます。
兵庫県にある田舎の民間病院にはあまりに特異な経歴のため看護師主任で採用されました。
しかし、臨床現場を知らない若い主任に対して現場の看護師は冷たく、初めのうちはかなり村八分状態でしたね。
「昼仕事をして帰って夜寝る前に勉強をする毎日」を繰り返し、医療技術が追いついて1年弱。
夜勤をし始めた頃から周りの見る目がようやく変わり「主任」なれたような気がしました。
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上がらない給料
看護師主任3年目から病院の教育委員長に就任。
学会でも2年連続で発表したり、病院に研究倫理委員会を立ち上げるなど、精力的に頑張ってきたのですが。
いかんせん給料が全く上がりません。
病院の掲示板に昇給発表があっても「月額100円昇給」って。「子どものお年玉でも数千円もらえるわ!」って突っ込んでしまいましたよ。
しめて8年間勤めて昇給額の合計1300円です。基本給にプラスされたのは本当にこれだけです。
家庭を持ったら家のローンや教育費、その他もろもろにお金がたくさんいるんです!
「ボーナスが出るだけまし。」とかほんとそんな言葉いりません。そんな言葉で私たち民衆の気持ちは黙らせられませんよ。
「大学教員の方が給料が上がるだけマシだったのか?」
「転職失敗」の4文字熟語が頭から離れません。
失敗だったのか?いや明るい未来へ向けた挑戦切符を手に入れたのだ(38歳〜41歳)
「何とかしないと!」と思って4年目に再び給料が高くなる病院へ転職を試みますが、ことごとく失敗します。
大学病院を受けても書類審査で不採用であったり、市立病院を受けても「頭でっかち」みたいなことを言われめちゃくちゃ悔しい思いをします。
20代なんてどんな有名な病院も試験を受けに行くだけで合格だったのに。
このとき「しまった。オレ歳とったんだわ。」とモーレツに感じましたね。
看護師の世界は看護技術ができてナンボのところがあります。
要するに「技術のない30代後半はいらない」ってはっきりと断れられたって感じでしたね。
「転職して大失敗だったんじゃないのか?」
と妻と2人悩みました。
大学に戻れないかと知り合いに連絡したこともありましたが、大学からは音沙汰がありませんでした。
絶望からの小さな小さな光
ところがここで人生の岐路があったんです。
病棟で退職するスタッフの1人から管理職の私たちにダメ出しがあり、少し自信を失くしていたときでした。
家でYouTubeをぼんやり見ていたらYouTube講演家 鴨頭嘉人さんの動画が流れてきたんです。
ほんとに何気なく再生すると、あっという間にその話に引き込まれました。
鴨頭さんの情熱が「最初は胡散臭そうな坊主頭の人だな〜。」と思っていた感情を吹き飛ばしたのです。
世界は「できると思っている人だけができる(成功する)ようになっている」と。
正直めちゃくちゃカッコ良かったです。言葉にはあんなに力があって、あんなに人を痺れさせることができるんだなと。
小学生の頃「自分は天才だ!すごい」と思っていた自信過剰な自分はいつの間にか影をひそめ、社会に合わせて波風が立たないように過ごす術だけに努めている自分は一体何者?と思いました。
鴨頭さんの言葉から人生の選択肢は無数にあるのに、選択肢を1本だと思いこんで打ちひしがれていた自分に気が付いたんです。
全ての可能性をゼロにし、成功の未来にフタをしていたのは他でもない自分であったことに。
「まだ39歳。これからでしょ!」と奮起します。
病院が給料を増やさないなら、副業して自分で増やせばいい。
と考え方をシフトしました。
今までは勤めている職場へ認められ給料をアップさせるということに執着していたのです。
これまでになかった私の新たなチャレンジとともに、大幅な考えのシフトでした。
まさかの副業に最適な環境
ここで幸いしたのが民間病院勤めで副業OKの職場であったことです。
もし自分が大学病院や市立病院に勤めていたなら副業禁止だろうし、副業が禁止ならリスクを冒してこんなチャレンジ精神を持たなかったと思います。
「人間何が良いできごとで何が悪いできごとなのか」、「どんな原因でどう転んでいくのか」本当にわかりませんよね。
YouTubeで「〇〇社長のせどり」といったように「せどりが面白そう!」とせどりに興味をもち副業の本を買って本格的に始動します。
今まで公務員や看護師という雇用ありきの環境で、自分で稼ぐことなんて全く考えもしてこなかった超ど素人のあくなき挑戦の始まり。
「販売はAmazon、使うツールはプライスターだ!」というようにYouTubeとインターネットを駆使して始めました。
このときYouTuberのマナブさんを見習いブログを始めました。
とにかく39歳の私はYouTubeで情報を仕入れて、ネットで調べて実践するをやっていったんです。
もうとにかく行動するしかなかった。
しかし、せどりは簡単に上手くいかないし、せどり情報を発信しようとしていたのでブログも連動してうまくいきません。
ついにブログは書く手が止まってしまい一旦休止してしまいました。
せどりで何とか稼ぎたい。
古本コミックのセット本販売をしていたのですが、仕入れがうまくいかないし、仕入れても売れない日々が続きました。
そのときTwitterで古本せどりを専業にやっている方に、藁をもすがる思いでDMしてみたんです。
するとその方が偶然にも本当にとても優しい方だった。
無料でコンサルしてくださり、稼ぎ方を教示してくれました。
そして一気に売り上げが伸びたんです。最高で1ヶ月の利益が5万円になったこともありました。
しかし、長くは続かなかったのです。
バーコードの読み取りにビームを使うその手法がどうしても自分に合いませんでした。
1年半の副業古本せどりは幕を下ろします。
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「ブログに本腰を入れてみる」すると!
私の副業チャレンジはまだまだ続きます。
「あきらめてなるもんですか。私は必ず家族を幸せにするんです。」
自分も自由に仕事をして、人間関係のしがらみに悩まされることなく、幸せになるんです。
絶対あきらめません。
目標を達成するまでは、どんなに泥くさくてもやり遂げてみせます。
なぜなら凡人の私が達成できたなら、必ず他の皆さんもできるから、その道をしっかりと示していきたいのです!
私が作って舗装した道は、無料で包み隠さず公表すると決めています。
現在は副業のブログに取り組んでいます。
2021年1月からブログに本腰を入れて10ヶ月。
月間PVは15,000を超えることができました。
月収は5,000円〜6,000円をコンスタントに稼ぐことができるようになっています。
10ヶ月やってたったそれだけ?と思うかもしれませんが、私の勤める職場の月間昇給額100円の50倍です。
年収で言うと60,000円〜72,000円アップ。そう考えると「ひとまずブログを頑張って良かった〜。」と思えます。
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まとめ
コロナ禍で実家の愛媛県に帰ることができずに、小さい頃遊んだ場所や通った小学校、懐かしいあの道や景色を遠く離れた兵庫県から思い出しては切なくなり胸が締めつけられています。
早くフリーランスになって自由に行動し行きたい場所へすぐに行こうと思っています。
会いたい人に会って、楽しい話をしポジティブな気持ちで周りを包んでいこうと思っています。
そのためにはお金が必要で凡人の私はただただ日々積み上げることしかできません。
この積み上げも必ず成功するかどうかもわからない行き先不明な道です。
しかし、私が実際に歩いて積み上げた草を刈って舗装した道は誰もが後ろから安心して通れる優しい道になると信じて行動しています。
妻はそんな先もわからない道を突き進む私をいつも応援してくれています。
最近も「ブログを成功させるからパソコンを買っていい?」と相談すると私を信じて購入OKをくれました。
2年間ローンですが、月々の返済分は何とか稼げるようになっています(笑)。
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古本せどりから始まり、妻には苦労をかけっぱなしで何とか彼女を絶対に笑顔にしたいと日々パソコンへ向かっています。
子どもたちも
など言ってくれます。
副業してるパパさんたちは皆こんな家族への純粋な思いを持って頑張っているんでしょうね。
お父さんは守れない約束はしないからね!
ですから、私は何が何でもがんばります。自分を、そして家族を幸せにするために。
そしてゆくゆくは私を取り巻く世界を幸せにしていこうと思っています。
こんな私ですがどうぞこれからも末長くよろしくお願いします。
コラム:じゃっきーはこんな人
- 家族が大好き、優しいと言われる、声も優しいと言われる、真面目、誠実、めったにないけど怒ると怖い
- 散歩が好き、決めたことは守る、マイペースに見える、よく眠そうだねって言われる
- きゃしゃなので筋トレをほぼ毎日してる、16時間オートファジーに挑戦中、チョコレート味が好き
- コーラとライフガードが好き、意外にも運動神経が良い、シンプルなおしゃれが好き、親孝行したい
- 学ぶことが好き、教えることが好き、ドラクエが好き
いくつになっても自分がやりたいことをしたい。
そんな平凡で穏やかな日々が送れるように一緒に行きましょう!この先の明るい未来へ。
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